作品名:弥勒菩薩《song&words:天波地動/瑞穂の国より/since.1995.》
上の▶印をクリックすると歌声が聞こえて来るョ…

 ボクはS27年生まれの辰年生まれです。
何かに行き詰まった時などには
勇気を奮い立たすために自分と龍を重ねて
想像したり
考えたりすることが良くあります。

 日本の龍は中国から来た水の神で守護神的存在です。
それに対しドラゴンは中国と同様
蛇を基体とした
水のシンボルですが何故か怪獣です。
 東洋の龍が守護神的性格を帯びていたのとは異なり
ドラゴンは悪魔的存在で秩序の破壊者です。
 これは西洋と東洋の自然観の違いで
東洋では自然は従うべきモノで 
自らと一体的なモノと捉えていましたが
西洋での自然は 人間が支配すべき対象と捉えていたからかも知れませんネ。


 
 2005年からスタートしたMovingDragon Tour(以下MDT)ですが
今年で18回目となります。
 最初は年4回を目標に立てましたが3回でダウン。
翌年は年3回を目標に立てたものの敢無く2回で断念。
それでも何とかやり抜こうと2年間は踏ん張りましたが
やはり過去肝臓病で傷ついたドラゴンは
本来の馬力を失っていることをまざまざと自覚し 年1回に固定しました。
 思い出すと旅の途中で体調を壊してしまい
講演会やコンサートの出演を突然キャンセルしたことや…(涙)。
 またヒーラーの村明さん宅で大腸炎に倒れヒーリングを受け
一晩静養させて頂き自然治癒力で立ち直ったことや…(驚)。

 たまたま鍼灸師の村明さんに
ライブ前の突然の歯痛を治療して貰った時もありました…(笑)。

 何しろ一人で車を運転しての ほぼ一ヶ月で
往復約4000㎞の
珍道中ですから…
車のトラブル・天候のトラブル・
人的トラブルなどに巻き込まれたりと 
何が起るか解らない奇想天外マジカルミステリーなMDTですからネ…(笑)。
そりゃボクだけでなく受入れる側も疲れるのは決まってますョネ…(照笑)。

 それでも回を重ねることで 
人間はその困難にも順応してゆくのですネ。
まぁボクの身体が順応したのか?
はたまた
村明さん達の受入れ側が順応してくれたのかは定かではありませんがネ…😅

 いや未だ気を使わせてしまってるだけなのかも知れませんが🙏
とにかく一宿一飯の恩義に預かり 

おまけに玄米おむすびまで持たせてくれる
そんな皆さんの温かい愛に支えられ
日本の西から東へ向かう18周目のMDTを無事成功させる為に
現在着々と準備している最中です。

 しかしながら 龍とドラゴンの二面性を合わせ持った
ボクが天波地動と名乗り列島を行脚してゆくのですから…ネ🐉
自分で言うのもなんですが…。映画以上の感動のドラマが
目の前で五感をビンビン震わせ繰り広げられてゆくのですからネ!
 そりゃ〜「生きてる〜」の実感と
「生きてて良かった〜!」の喜びと感謝で
よく涙を流すボクに出っくわす様になりましたョ。😂

 そんな過去のMDTでの思い出話を交えながらの天波のお野祭ライブは
野菜を売ったり…料理して食べたり…身の上相談に乗ったり
お掃除を手伝ったり…
歌ったり…踊ったり…散歩したり
朝方まで他愛のないお喋りをしたりと
その時その場でのライブ感を村明さんや音もだちと三蜜を守って(笑)
一緒に楽しんでゆくギャザリングなのです。

 そして 連日連夜続くMDTは 今やボクの健康度と寿命を
確認・推進させる人間ドック的役割を果たすお陰様の大切な存在となったのです。
 安心が香る食を通して「健康こそ平和への近路である」を理念に 
農明シンガーとしての
生命活動をしています!
 この言葉はFacebookで天波地動の紹介文として載せているコピーですが 
病弱だったボクが 
人と出逢い 自然と出逢っていくうちに 
持病と言われ引きずって来た内臓疾患とも
いつしか共生出来る様になったことで
本来の自分らしさを見つけることが出来たのです。

 とにかく何よりも結果が先に知りたい!
そんなイラチだった天波博文が
結果は今踏み出す一歩の積み重ねに過ぎず
結果もさることながら
一歩一歩ずつの段階的過程こそが
次世代に継承してゆくべき最も大切な姿勢なのだ。
そして それこそが
愛することだと信じれる様になったのですから…
「健康こそ平和(愛)への近路だったのです。」ネ✌️

  まぁ単純に年老いて来ただけなのでしょうがネ😅
先ずは体の中の平和を取り戻し そんでもって
みんなに愛され何かの
役に立てる天波地動仙人を目指しますョ💕
 ツアーで素敵な音もだちに出逢えます様に…🙏

 

 

 

 

 

【つづき】
 ツアーという言葉に憧れたのは 
デビューした当時まだ一九歳の頃。
大好きな音楽を演奏しながら全国・世界中を飛び回って見たいナ〜なんて
そんな壮大な夢を抱き音楽に全生命を傾けていた二十代。
 現実は一週間をインスタントラーメン二個でつなぎ
愛妻様の(当時はまだ
恋人同士)銀行勤務がない週末に
やっと人間らしい食事に助けられていた時代です。

 月に数本のライブのために来る日も来る日も作品作りをしながら
アンサブルの練習を繰り返しやっていました。
その甲斐あってか 全国ツアーも体験出来たし
海外遠征も一度だけだが
参加させてもらうことができました。

 さぁその夢に見ていたツアーとは

飛行機もしくは電車→到着駅→会場→ホテル→帰京。
 もしくは貸切バスで共演バンドと寝泊りしながらの
想像とは程遠いタコ部屋での移動コンサートツアー。
 もちろん仕事だから当前とは言え
史跡旧跡地や名所など巡ることもなく
毎回帰京の電車の中で眠りこけていました。

 会場と言ってもピンから切りまでありました。
それはコンサートホールもあれば
地方百貨店の屋上ビアガーデンであったり
温泉センターの宴会会場もありました。
 まだまだあるぞ!
三人入ったらギターも持てない地方FM局の狭い部屋
通行人が全くいない田舎のレコード店先に
みかん箱を積み上げた台の上に立って…なんてこともありました。
 そんなのまだましな方で 罵声のキャバレーでのステージも
あったっけ!ホステスさんと酒を飲んでる席で
♪地球は泣いてる♪なんて曲を一体誰が聞くんだョ!
そんな風によくマネージャーに悪態ついては
夢と現実の大きな差をまざまざと味わいました。

 今回で18回目の実践となる2020-Moving Dragon Tour-18は
企画・立案・交渉・宣伝・会場設営・演奏並びにパフォーマンス
・片付け・
会計のマネージメント全般をボク一人で賄って来ました。
 (もちろん愛妻様も手伝ってくれました。忘れていませんョ💕)。
 でも全ての担当シーンに携わって見ることで
あの当時の自己中心的な数々の不満が今更ながら恥ずかしく思えて来ます。
 周囲に対する感謝が本当に足りなかったナと 
つくずく思うし
未熟だった自分に気づかされました。

 今はボク一人だから携わってくれる人たちには
心底感謝
感謝の気持ちでいっぱいになりますし
その場でご縁を頂けた人には 「わざわざ来てくれてありがとうって!」
笑顔をもって感謝出来るようになりました😀。

 たった一度の人生と言う旅で出逢える人の数なんて高々知れています。
精々指折り数えても六〇人が限界だと思うし 
まだいると
思っても きっと名前が思えだせないと思う。
 そんな知り合い程度の友だちとの出会いではなく
なが〜〜く繋がっていける人とのめぐり逢いをいつも求めて来ました。
 19歳で自立し 自立といえば格好良いけど ただの家出風来坊。
学生時代の知人飯野君宅に居候しながら
無駄飯食っては音楽ばかりしてたけど彼の家族とは今でも繋がっています。

 そして このめぐり逢いが
新たな次なるめぐり逢いを生んだのです。
それが「丘蒸汽」としてデビューした片輪の 
今や世界屈指のオルゴール
ミュージシャンの西脇との出逢いです。
ボクの音楽人生の火付け役と言っても良いのが この二人との出逢いです。
 東京の荻窪にあった飯野家での人生初の居候体験では
芸術家さんとの初めての出逢いであった画家のお父さんに
芸術家としての
暮らし方と作品に込める魂を
食事中懇々と初対面の玄米を食べながら学びました。

 一つ年上の西脇とは今でも丘蒸汽として走り続けていますが
当時ボクの中で完全燃焼出来ずに燻っていた音楽的な可能性に
見事に火を着け
燃え上がらせてくれました。
今でも大切なライバルです。このことは一生
感謝し続けます🙏
 世の中すっかり「三密」と言うプラスチック製の透明な壁に遮られ
否応無しに息の詰まる世界に閉じ込められている様に感じます。
 今回のツアーを組むにあたっても喜ぶ心を頭が押さえ込んでいて
今までの様にスケジュールを確定することがスムーズにいきませんでした。

 世の中こんなムードの中で果たして動くべきなのか?
4月頃からタイミングを伺っていましたが
待ちに待ったボクの魂は「動きたい!」と鼓動を打ち始めたのです。
だから天波地動は決断しました。ドドド〜ン!

 お医者さんが患者さんの健康を回復させる働に動く様に
農業危機→食糧危機→健康阻害→判断の間違った社会に
なって欲しくないから…ボクも動きます🐉
 

 空白欄のあるスケジュールを地図の代わりに持ち
ボクはボクを求めてくれる音もだちに愛にいきます。
 7月豪雨の時にご支援くださった皆さんに
直接対面して感謝の心を伝えたいと思うからです…💖

 そして 日本の未来を考へ
数少ない友氣農行を実践している人と
食べ支えている同志たちに逢いたいのです!

 「自由で平等な社会の実現は
少数派を尊重し大切にすることから…!」🙏

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