熊本県は芦北町、オレは今こんなところまで来て釣りをしている。隣にはSが、先輩ヅラして色々教えてくれるがその実彼は釣りがうまい。そんな彼に教えてもらえるおかげで、オレも釣りというもののおもしろさを少しずつ知り、のめり込みはじまる一歩手前のところあたりまできている。

 「オレ、難しいことはわかんねえ。でも釣りって遊びじゃなくて勝負だと思う。人生に向かい風が吹いているならなおさらのことだ。お前は勝負すりゃいいんじゃねえの?」

 Sは釣りをしながらオレにそんなことを語りかけてくる。なんだかTに似ているな、とオレは思いながら、それにしてもオレはいつオレの人生に向かい風が吹いているなんてことをSに言ったんだろう。竿を持つ手に意識を向ける。

 「止められて一番悲しむのも一番苦しむのもお前だろ。分かってるよ。だからオレは、お前のことを止やしねえ。お前の表情には苦しみが残ってる。その表情のうちは、走れるよ。」

 こいつはいったい何の話をしているんだとオレは思いながらも、釣竿のえさに触れる魚の気配を感じたオレは、Sの話をテキトーに聞き流して、魚の方に意識を戻す。

 「お前が追いかけてるえものの背中の大きさは、今どんなだ?大きくなってるか?小さくなってるか?」

 魚がオレのえさに食いつく。ブルルッと釣竿がふるえ、釣りをしなければ味わうことの出来ないあの独得の快感が全身をかけめぐる。オレはゆっくりとリールを巻いていく。ずっしりとした手応え。こいつはもしかしたら、今日一番の大物かもしれない。Sの問いかけにオレは、上機嫌でこう答えた。

 「見えてきたぜ。今日一番のえものだ。大きくなってるよ、オレが今追いかけてるえものの背中の大きさは、大きくなってる。」

 「油断すんなよ。焦って近づくのはかえってあぶない。背中の大きさが変わらなきゃ、追ってくほうは自分のペースで走れる。」

 だからこいつはいったい何の話をしているんだと思いながらも、オレはSのそんな訳の分からない所がなぜか好きだった。TとSがもし同じ空間にいたとしたら、どんな会話がうまれるんだろう。

 「でもオレはお前の畑の方が好きだな。なんていうかな…「懐かしい」って気持ちになれたんだよ。有機農業に出会った頃の気持ちを思い出したっていうか…。」

 「幼稚ってことだろ?」

 「違うんだ。幼稚だろうが何だろうが、知りたいって気持ちがあの畑から見えた。それは光だ。お前にはまだ分からないかもしれないけどな。」

 Sと釣りをしたその火から約2年後に、オレは有機農業をはじめることになる。そしてオレが有機農業をはじめてから約半年後、Sが長野のオレの畑に熊本から遊びに来てくれたのだ。

 Sの実家はタバコ農家で、Sはその後継としてタバコをつくりながら、タマネギやニンニクなど、無農薬無化学肥料の野菜づくりもはじめたらしい。なんでも、オレと出会ったころあたりから、元々ずっと興味はあったけれど、自分でやることはしていなかった有機農業の世界に足を踏み入れはじめたらしく、試行錯誤を重ねながら、自分なりに有機農業の世界を歩いてきたみたいだ。でも、理想と現実の間には大きな差があり、農薬や化学肥料が当たり前だった農家のSにとっては、”絶望”と言っても過言ではない程の気持ちに飲み込まれてしまいそうになっていたところだったそうだ。

 「ー…知ってるか?宇宙って何もないところからほんのわずかのズレによって生まれたんだ。そのズレが揺れて広がって今の大きな宇宙まで広がって今の大きな宇宙まで育った。つぶれたりはじけたりせずにここまで広がったのは奇跡的なバランスなんだと。その中にオレたちがいる。有機農業も同じだと思うんだ。揺れ動くそのバランスの美しさが同じ揺れを持ったオレたちに響く。そこに感動が生まれる。もしかしたら完璧な有機農業があっても響かないのかもしれないな…。」

 いつかTが、そんなことをオレに話してくれたのを思い出す。Tはいつも、有機農業のことを、まるで音楽のことのように話してた。”農というのは音楽のことだぜ”が、あいつの口ぐせだった。

 「有機農業と音楽って表現の仕方は違っても見ているところは同じなんじゃないかと思うんだ。何て言えばいいんだろう…?安定しているようで不安定な…まるでオレには見えない流れに乗って揺れ動いているみたいなんだ。…不思議だな…わからないのに惹かれる。そんなところが、有機農業と音楽って何か共通するんだよな、オレにとっては。」

 オレとSはその日、2人で畑仕事をして、語り合いながらご飯を食べ、それから温泉に行き、一日の疲れをいやして家に戻ると、晩酌をした後に、ぐっすり眠った。こんな日々の繰り返しが、今のオレにとっては何よりの幸せだ。Sとオレは温泉への行き帰りの車の中、Tの二枚目のオリジナルアルバムの中の一曲、”彩”という歌を、何度も繰り返し繰り返し、歌い続けていた。

 ー衣食住 そして歌 生きるための

  衣食住 そして歌 僕の彩

  日々の中に彩を 少しの喜びを

  生きている僕のうた いのちが宿るー

 2024年1月29日

Follow me!

カテゴリー: 晴太郎の窓愚痴

PAGE TOP