初めてのキスは、中学2年生の時だった。当時付き合っていたCと、地元のショッピングモールの階段でのことだった。僕にとってCは、初めての彼女だったし、Cにとっても僕が初めての彼氏だった。2人ともとても緊張していたし、浮き足立っていた。

 「コントロールすることにこだわる男ほど、自分がコントロールされることに必要以上に怯えるんだ。ペニス以外の性感帯は、男にとって”自分ではコントロールできないもの”なんだ。本当はペニスだって、いや、ペニスこそ、自分ではコントロールできないものなのにな…。そこに、「変性意識状態」ってキーワードが出てくる。

 変性意識状態っていうのは、スポーツでも仕事でも、過度の集中、たとえば文章を書いていて「筆が乗ってきた」とか、いわゆる〈ゾーンに入る〉っていう状態でもあると思うんだけど。さらに、”セックスでの変性意識”ってのは、相手と溶け合う、つまり「自我によるコントロールが利かなくなる」ことだよな。」

 まだ中学生だったオレは、Tには出会ってはいなかった。それで良かったと思う。高校生という、オレにとっては本当に良いタイミングでTに出会えたと思う。オレがちょうど、少なくともオレの中で、オレという人格を形成しはじめた時に出会えたから。もしその前に出会ったとしたら、オレはTと友達にはなれなかった気がする。Tの話はおれの常識を打ち破る、というよりは、ただのよく分からない頭のおかしいやつの話、として耳にも入れないか、ただバカにして終わっていたと思うから。

 「男性にとっての性欲のかたちだけじゃなくて、多くの女性たちの生活の中での恋愛観や結婚観、あるいは男性の自動機械的な性欲に怒って、悪し様に罵る過激な一部のフェミニストの主張も同じで、みんなが自動機械になってる。右も左も、女も男も、みんな自分の「感情」や「欲望」や「正義」だと思い込んでいるものが自分の心の中の機械に過ぎないことを自覚して、そこから議論を始めないといけない。その姿勢は「相対化」とも「冷笑」とも違うんだ。」

 Tの話はいつも長い。オレはほとんどのTの意見に共感することはできないが、オレはほとんどのTの意見に興味がある。Tのことを好きになる人がいるとして、それはどんな人なんだろうか?想像することができるようで、全く想像することができない。それでももし、Tに彼女ができた時には、彼氏かもしれないが、心の底から祝福したいと思う。2人の間ではどんな会話が生まれ、どんな所へデートに行き、どんな時間を、空間を編み出していくのか。自分勝手な妄想ばかりがふくらんでいく。

 「今の男は言葉に支配されがちなんだ。オレ達が言葉を喋るようになって四万年。マックス・プランク進化人類学研究所がサピエンス種とネアンデルタール種のゲノム比較で明らかにした。それ以前は、共通して「うた」を歌っていたんだ。

 悲しい「うた」を聴くと悲しくなる。でも、悲しみという言葉を聴いても悲しくならない。つまり「うた」の真髄は感染なんだ。初期の言葉は韻律と舞踏を伴った朗唱で隠喩と換喩に満ちていた。そうした神話的言語によって「ロゴスの暴走」を防げなかった集団は滅びたんだ。」

 オレとTは初めてのデートの日、映画を見に行った。「僕等がいた」という恋愛映画だ。

 

 ーこのずっと続く空の下、今、どこにいますか?誰を愛していますか?ー

 ーあのまま彼をほうっておけば、壊れてしまいそうに見えたー

 ー矢野より先に死なないし、絶対裏切ったりなんかしないー

 ー矢野は線路の向こうに消えてしまったー

 ーいつか私もなれるといいな懐かしめるようにー

 ー私の願いは矢野の願いが叶うことー

 

 今でもオレはたまにこの映画を見返してしまう。オレにとっては大切な感情を思い出させてくれる映画だから。誓い合った未来を、簡単に裏切ってしまうことのないように。2人の未来を、あの日の約束を守ることができなかったことを忘れないために。せめてそのことが、今度こそ2人の未来を、約束を守ることのできるエネルギーに変わるように。

 ー忘れようとしてでも思い起こしたり

 いくつになっても皆似たり寄ったり

 失くしたくないものがひとつまたひとつ

 心の軌道に色を添えてー

 2024年1月22日

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カテゴリー: 晴太郎の窓愚痴

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