「オレなあ、百薬の長になるのが夢なんだよ。」

「ふうん、百薬の長ねえ…。T、それはつまり、お酒になりたいってこと?」

 Tは、高校を卒業してからすぐに実家の農業を継ぐのかと思っていたけれど、彼はそうしなかった。かわりに、ギター一本かついで、日本を、世界を旅して渡り歩く日々をおくることに決めたらしい。なんでも、土の音を新しく聞くために、それは必要不可欠なことのようだった。まずは日本を旅するところからはじめるらしい。お金はないし、貯めるのもめんどくさいので、ヒッチハイクと路上ライブでなんとか食いつないでいく算段のようだ。Tの計算はいつも甘いと思っていたが、高校3年間を一緒に過ごして、Tの見通しの甘さは、彼の短所というよりは長所であるということがだんだん分かってきた。計算を超える計算というものが、この世界には存在するのだということを、Tを通してオレは生まれて初めて実感することになる。

「いろいろな微生物が酒造りに参加することによって、生命の宿った酒になるんだ。雑菌を排除し、さらに排除しながら、純粋な酒を培養した酒は、命のかけらもない「酒のようなもの」ができただけの話で、本当の酒じゃない。微生物が喜んで働いてくれるからこそ、本物の酒ができるんだ。」

「俺たち、まだ未成年だから酒はのめないぜ。」

「まじめだなお前。今日くらい別に良いだろ。2人で、2人だけの本当の卒業式をやろう。」

 Tとオレは、放課後学校の屋上にしのびこんで、Tの家から持ってきた日本酒で、卒業おめでとうの乾杯をした。オレは酒をのむのが初めてだった。すきとおった、透明な味。すぐには酔わなかったけれど、ジワジワとオレの身体を酒が支配していく。Tはギターを取り出して歌いはじめた。オレもゴキゲンになって一緒に歌う。長渕剛の乾杯。結婚式じゃなくて、卒業式だぜ。結婚式も卒業式も同じようなもんだろ。なんて言ってお互いに笑い合いながら、それぞれの心のままに、叫ぶように歌った。ふと、見上げた空が、人生で一番デカく感じられた。

 「世界はなあ、広いぜ。オレやお前の想像するよりずっと広い。オレ達なあ、まだ何も知らないんだよ。世界のこと、自分のこと、何だってそうさ。なあ、楽しみだな。これから一歩一歩、そんなどこまでも広い世界を、オレ達は探検していくことになるんだ。」

 「Tはすごいよ。なんだってそんなにいつもワクワクしていられるんだ?オレなんて、正直怖くて仕方ないよ。世界は広い?確かにそうだろうよ。でもなT、オレにはその広さが怖くてたまらないんだよ。ハッキリ言って世界の広さなんか知りたくなんかないね。オレは今オレが知ってる範囲のことでもう充分こと足りてるんだよ。オレは人生に冒険を求めてはいないんだ。」

 「お前はお前の幸せを生き、オレはオレの幸せを生きる。単純な話だよな。オレにとって冒険は手段でしかないんだよ。目的は自分の幸せさ。きっと誰もが自分の幸せを、そしてその幸せはとなりの人の幸せに、そしていずれは世界の幸せになることを、心のどこかでは求めているんじゃないか。ただそのための手段が違うというか、その違いがまた世界の彩りになる。そしてその彩りが重なり合った時に思ってもみなかったような新しい彩りが生まれたりもする。」

 Tとオレはしゃべり続けた。歌い続けた。それなりに大きい音を出しているのに誰にも気付かれないということが不思議だった。もしかしたら、Tとオレは酒の力で本当に別の世界、別の次元へと入り込んでしまったのかもしれない。

 「温度とか湿度とか、物理的に同じ条件であっても、造り手によってぜんぜん違う酒ができるし、たとえ同じ造り手であっても、そのときどきの感情によって微妙な違いが酒には出ちまうもんだ。だから例えばオレが酒を造るとして、オレ以上の酒はできない。自分が偽物であれば偽物の酒しかできない。どうあがいたって、その人以上の酒はできねえんだ。」

 「T、だとしたらオレ達ののんだこの酒、いったい誰がつくったんだろうな。マジですごいよこのお酒。オレ達今、普段生きてる場所とは違う場所に来てる。この酒の力でな。いったいどうしたらこんなお酒がうまれるんだろうか。」

 「そりゃオレみたいに生きればそんな酒ができるだろう。だってその酒つくったのオレだから。」

 「バカ言うなよT。もしお前がこの酒つくったっていうのが本当だとしても、どうせマグレだろ?」

 「そうだよ、マグレだよ。にしてもすげえだろ?だからマグレで終わらせたくないんだよ。もっと勉強して、再現性を高めていきたいんだ。微生物と人間の間で起きるこの化学反応のな。」

 2024年1月20日

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カテゴリー: 晴太郎の窓愚痴