作品名:逝く時はつれてって!《:comment: by Tempa chidow/since.2010.佐賀伊万里》
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それは…子供の頃からありました。
親はもちろん友だちからも
そして 社会に出てからも…
ボクの頓珍漢な性格を表現する
言の葉は驚くほど様々にありました。
優柔不断やお天気屋ぐらいでしたら
ランクはまだマシな下級の方で…。
中級の下が生意気・天の邪鬼・破天荒
自分勝手・意地っ張り・負けず嫌い。
中級の上になると不良・落ちこぼれ
ナルシスト・自己中・無責任・変人。
最上級になりますと策略家・ヤクザ
独裁者・裏切り者・乗っ取り屋などと…。😎
まだまだ上げたら切りがない程の罵詈雑言
その時々のシーンによってボクを厄介者扱いする
言の葉は落ち葉の数ほど沢山ありました。
きっと声を掛けやすいタイプなのでしょうネ(笑)😅
なので別段だれに嫌われてる様子もなく
いつも通りにみんなと遊ぶのですが…😏
何でいつもボクを悪役にするんだろう?
「もしやあの時の言葉が…態度が…?」なんて
思うのですが いつも既に時遅しという訳です。😅
仮に五十歩だけ譲ってボクが悪いとしますョ。
本当に罵詈雑言のその通りだったとしたら
どうしようも救い様のない ただの性格異常者で
ロクでもないただの悪党じゃないですか〜!」
も〜〜ぅ誰か〜〜ぁボクを持ち上げてョ〜」😂(笑)。
まぁ仕方ないですョネ!世間の引いたレールに
スマートに乗って普通の生き方をしていたら
こんなに多くの罵詈雑言を浴びる様なシーンには
出会ってなかったのでしょうから…ネ(笑)😜。
弁解になりますが そんなへそ曲がり人生の根っこは
今から66年前の戦後間もない東京の立川基地のすぐ側で
産声を上げたのがボクなんですからネ…!
当時はまだ法の整備も不備で無法に近い状況の中
一般庶民(敗戦戦士)のおやつが芋だった時代です🍠。
夜の飲み屋街では米軍兵と日本人が入り乱れ
時々銃声音が響き 日本刀をかざした
ヤクザの勇み声が頻繁に聞こえていました…🔫!
あいにく母の営む小料理屋「よしの屋」が
その中心近辺にあったのです。向かいがストリップ劇場
両隣がソープランドにグランドキャバレー
おまけに裏が関東連合組の事務所なんですからネ😎
近所に住む子供たちは
「夜暗くなって家から出ると 人さらいが来て
遠い国に売り飛ばされるんだぞ!」と
親から日々聞かされていました。
昭和には そんな時代背景もあったんだョと
今の若い人に言っても想像もつかないでしょネ(笑)😅。
「子は親に従へ 嫁は夫に従へ
先生が絶対で 警官が絶対で 国家が絶対!」
小中高の男子学生は丸坊主で爪入りの学生服を
強制的に着せられていましたからネ🎓!
でもそれが超現実で軍隊の延長線上にあったのが
当時ボク等の学び舎「学校」でしたからネ(笑)。
まぁ親達も会社という軍隊式社会に翻弄され
知らず知らずメディアや日常会話を通して
それが常識だと洗脳された時代だったのです。
そんな時代だからこそ反骨精神の旺盛なボクは
その場で感じたままを安直に口にし
誰かまわず気にくわないと句ってかかる。
特に上から目線での偉そうな奴の
納得のいかない発言や言動に対しては
即座に「自分正義」のスイッチがONになり
攻撃的な天波が出てしまっていました。
でも ボクもまんまと時代が仕掛けた罠に
はまっていたことに気づかされるのです。
「目には目を歯には歯を」の意味を
「殺られたら殺り返せ」…と擦り込まれ
無知が故の洗脳の罠にはまっていたボクでした😂。
ある時この言葉を調べてみると…!
約四千年前のバビロニアの法典に記された言葉で
実際には過度な報復を防ぐ為の「法律」でした。
例えば現代風に置き換えて言うと
「倍返しとかは絶対ダメだョ。」と言う感じの
全く真逆の意味になるのが驚きでした😝。
また ブッタは法華経で
「私をののしった 私を笑った
私を打ったと思う者には
怨みは鎮まることがない。
怨みは怨みによって果たされず
忍を行じてのみ よく怨みを解くことを得る。
これ不変の真理なり」とおっしゃっています。
つまり「我慢せよ」と言うことですョネ。
イエス様もまた新約聖書で
「あなたがたも聞いている通り
目には目で 歯には歯でと命じられている。
しかし 私は言っておこう。
悪人に報復してはならない。
誰かがあなたの右の頬を打つなら
左の頬も差し出しなさい」…と。
こんなことを知り始めるのが三十代前半。
今まで自分を突き動かしてきた「自分正義」は
ベルリンの壁が崩壊していった様に
ガラガラと音を立て崩れ落ちてゆきました。
これを機にボクの中に巣くった
根拠も確信もない思い込みだけの
古い概念や枠組みとはサヨナラし
誠の正義や新たな価値観を身につけたいと
様々な学問に興味を持ち始めました。
そして その過程で見つけたのが
と言うより天職として与えられたのが
holistic-healthy-networkどれみ村だったのです。
どれみ村では農薬や化学肥料・遺伝子組換えなどが
自然環境や生命体に及ぼす負の影響を懸念し
自然農法・有機農法・古式農法で栽培された農産物を
流通することが正義を貫くこととなりました。
お陰で農薬業界などは裾野産業に過ぎないことを知り
その巨大なピラミッドの頂点にある化学兵器の製造や
使用を承諾・推進させている現代の経済システムを
諸悪の根源と捉える様にもなりました。
平成最後の年 西日本豪雨に台風に北海道地震と
今年も痛ましい自然災害の多い年になりました。
最近のメディアは地震・津波・雷・噴火をデフォルメし
過度と思う程の時間を取り それも同じ情報を使い回し
庶民の恐怖と不安をただ煽っている様に思えます。
しかし 自然の猛威も悪いことばかりでなく
一方では海洋に溜まった堆積物や原発等の排熱により
上昇した海水温が一気に撹拌され
プランクトンの増加による漁獲高にも関与しています。
またヒートアイランド現象に喘ぐ都会の汚れ淀んだ空気を
一気に吹き飛ばし青空に戻す浄化作用の一面もあるのです。
秋真っ盛りの田舎に吹く突風もそうです。
山々の木々を揺らし活性させ 枯れ葉を落とします。
そのことで冬の日光が大地に届くようになり
落ちた葉は微生物たちにより分解され
命の源となる土へと還元されてゆくのです。
66歳。いつ落ち果てて土に還ろうとも
悔いを残さぬよう これからも天波らしさと
地動らしさを探求して参ります。
そして 新たな罵詈雑言を受けながらも
その都度懺悔し天波地動を変色させて参ります。
戦後の錆にまみれた赤子として生まれ
高揚たる紅葉として落ち果てていける様に…!