小学校の音楽室で生まれた夢
それは波のない静かな湖面を
純白の華麗なスケーターの様に
幾重もの波紋を描き滑る白鳥。
そんな情景を頭一杯に膨らませ
聴き入ったサンサース作曲の『白鳥』
「あぁボクも作曲家になりたいナ〜」と
幼心に生まれた漠然した夢のかけら…。
小中時代のボクは無意識の中に散らばった
そんな夢のかけらを一つずつ拾い集めては
夢パズルを組み立てては楽しんでいた。
それは幼少よりアレルギー喘息で
病弱の内向的な性格だったからかも知れない。
それでも高校で今の愛妻様に出逢い
夢パズルは半分ぐらい組み上がり
何としても「音楽家になるぞ!」の決心もつき
卒業と同時アクターズスクールに通う頃だった。
同級生で友人のフォークグループ
『ミルフォード』に誘われ
渋谷の「青い森」と言うライブハウスで
練習をしている時のことだった。
練習するもう一つのグループ
『丘蒸汽』のサウンドを聴き
同じく夢パズルを半分組み上げていたと思う
運命的な音もだちに出逢ったのだ。
それが未完成の夢パズルを組み立てる
きっかけとなる。「西」のキーワードを持ち
生涯の心友で音楽バディーとなる
西脇睦宏 通称ムッチンだった。
互いに別のグループの一員だったこともあり
最初は音楽を語り合うただの友人だった。
次第に互いの音に恋し惹かれる二人は
他のメンバーとのこともあり
何かと紆余曲折もあったが
ボクが『丘蒸汽』に加入することとなり
未完成の夢パズルを抱えていた半人前の二人は
1972年:一丁前のフォークロックデュオ
『丘蒸汽』としてデビューすることになる。
丘蒸汽では72年から75年にかけ
4枚のシングルと1枚のアルバムをリリース…
☆地球が泣いている/あぁゴミちゃん
☆あの光と虹だけ/今日も雨
☆追憶第一章/この歌もいつか
☆二人の舞踏会/街の絵
★アルバム「のすたるじあ」を発表し
コンサート活動で全国を行脚していた。
しかし 同プロダクションでの稼ぎ頭
『キャロル』の解散が決まり
それをきっかけとし76年に
演奏活動を一旦停車することになる。
停車後 二人は念願の作曲家となり
作詞・作曲・制作・プロデュース等を生業とし
家族と言う貨車を牽引し
其々の線路を走って行くことになる。
もちろん平和・安全第一は
設立当初からの運行管理上最も大切なこと
停車後も不定期だが連絡を取り合い
時には待ち合わせ駅を決め
まるでトーマスとパーシーの様に
その時々の新たな思い出となる
夢パズルを組み立ては楽しんでいた。
あれから昭和・平成・令和と
加速度的に時代は様変わりし
瞬く間にボク等の半世紀も流れて行った。
今やムッチンは音楽業界屈指の
世界一のオルゴールミュージシャンと
実績のある音楽家となり…
ボクは音楽家ではあるが
口八丁・手八丁のorganicな八百屋で
風天の農明シンガーとなった。
そうこしながら丘蒸汽は
個々の線路上を走り続けていた。
そんなある日
セピアな丘蒸汽の昔の作品が
突然発表されることが決まったのだ。
日本のアシッド・フォーク
サイケ・ロック史に燦然と輝く
奇跡のデュオ・グループ丘蒸汽の
幻の名盤と謳われたアルバム
「のすたるじあ」(1973年)から
何と51年ぶりとなる
セカンドアルバム「でじゃびゅう」が
奇跡のリリースとなったのだ!
まるでタイムマシーンに乗り
時代を遡る様に二人の夢のかけらが
再び夢パズルとして復活したのだ。
音に刻まれた二人の夢のかけら
カッセトテープに残されていた
未来へのメッセージがデジタルなステージ衣装をまとい
今ここに忽然と蘇ったのだ。
過去・現実・未来を自由に行き交う
音のタイムマシーンに乗り
オカしくて…ジョウ談好きで…
キ違いな…丘蒸汽の夢パズル『でじゃびゅう』を
どうぞ手に入れ是非お聞きください❤