偶然にも後光が射し込んで輝く卍ラインw
その名も百済来地蔵(くだらぎじぞう)
日羅が父である芦北国造 阿利斯登(ありしと)に西暦572年に寄贈した木像がまだ残ってるという奇跡。
物を大事にする日本人の見本みたいですね!富士権現やら敏達天皇出てきたり何か凄いすね!
清正の虎退治に対抗してこっちは虎が守ってます。宮浦阿蘇神社と同じで玄関?部分と本殿は階で繋がってる形式ですね。
本殿もめちゃくちゃ綺麗です。境内同様掃き清められ、綺麗に陳列され飾られています。かなり古い結婚式の写真や昔のお札の様な物も壁に飾られていて雰囲気ばっちしです。
御仏にガンガン見下ろされています。仏の背中のファンネルみたいな丸いの格好いいデザインですよね。お花のビットに囲まれ難攻不落のMA(モビルアーマー)みたいっすよねー。
んでこれが天井。真ん中に方角と干支が描かれ周囲には花や大根?の絵。左右の壁には武者の絵や動物の絵が描かれています。これが伝説の秘宝・日羅の埋蔵金の秘密を明かす手がかりとなるか?!
横には日羅のお墓があり、
由来も書いてあるんですが如何せん経年劣化で錆びて判読不能な文字が多数…。
日羅と言えば冨樫倫太郎著『太子暗黒伝』で紹介されていたのが記憶に残ってまして。
超要約すると聖徳太子がまだ厩戸皇子やら豊聡耳皇子やらdisってんのかリスペクトされてんのか分からない呼び方されてたちびっ子の砌、百済のお坊さん代表トップランカー日羅が来日して巷は大フィーバーしてました。
太子は非常に興味旺盛ながらもシャイで目立ちたがりな神童だったので他の子供達に混ざって生日羅を拝見しにいきました。
ところが日羅は他の子に混ざっている太子を一発で見抜き、わざわざ近くまで来て
「やべー!神の子いんじゃん!」
と一言。マジマジと太子を観察して
「あ、神の子どころか神そのものやん!」
と山本KIDもびっくり仰天で拝跪したと伝説にあったとか激ヤバ。聖徳太子半端ないすね!
んでこの百済来地蔵のご利益ですが、たまたまいらっしゃった檀家の方に話を伺ったところ
「何でも叶うドラゴンボールばりのご利益です!」
とのこと。
特に耳が良くなる効能が有名で、白い糸を持参し、MAのような仏像の前に鎮座する穴の開いた岩にその糸を通すとツンボが治る!と地元では伝承に残っているそうです。
流石豊聡耳皇子の家庭教師日羅先生のご権能ですよ!
百済来地蔵堂はJA八代さかもと支所からすぐ!
そして横には謎の仏像も!