あれかこれかという選択を迫られた時僕は今まで何を基準にどうやって選んできたのだろうか。大学を辞めるか否か。旅に出るか否か。歌を歌うのか否か。もっとささいなことでも、日常の何気ない選択も。起きるか否か。食べるか否か。眠るか否か。 

 僕はおそらく、いつでも安心する方を選んでいる気がする。冒険や挑戦、闘うことにはあこがれるけれど、僕が1番はじめに欲しいと思うのは安心だ。とにかく僕は安心したい。今までやってきた冒険や挑戦、闘いもすべて、安心を求めての行動だったのだと思う。大学を辞めたのも、オーストラリアを旅したのも、織座で研修させてもらって有機農業に興味を持ったのも、いただきアースに居候させてもらって台所ライブを仕事にして生きていきたいと思ったのもすべて僕なりの安心を求めての行動、そこからうまれる興味、関心、想いだったのだと思う。 

 安心道をひたすら突き進んできたのだ。そこから思うことは、安心には孤独がつきものだということ。僕なりの安心へと向かうヒントは色々なところでもらえるけれど、僕なりの安心そのものは自分で生み出さなければ手に入れることができないから。自分が安心できる人で、モノで、考え方で、自分の周りを固めても、自分の中に安心を見つけられなければ、僕の場合は安心できなかった。 

 もちろん、僕なりの安心を求め続けるだけでは僕はかなり危険だとも思う。だから僕には、僕とは違う側面からの安心を求め続ける人が必要なんだ。それは一見対立するような考え方、生き方なのかもしれない。だからこそよく話し合う必要があるし、お互いにとっての安心を理解し合う必要がある。そうすることでお互いに、それぞれの安心へとますます安心を持って突き進むことができるようになる。お互いの妥協点を探るのではなくお互いの妥協できない点を探ること。その点を認め合い、理解し合い、生かし合うこと。世界の平和も、家族の平和もそこからはじまると僕は思う。だからまずは僕にとっては僕にとっての安心を知ることが大切。 

そうすると、相手が誰だったとしても、その人にとっての安心を探り出し、認めて、生かせるようになる。僕にとっての安心が何かを相手に見せて、相手にとっての安心が何なのかをきく。まずは、それぞれにとっての安心を共有すること。そらから共有されたそれぞれにとっての安心を眺めてみて、どうやったらこれらを最も生かすことができるか話し合うこと。これが僕にとっての対話だ。相手にとっての安心を批判したり、評価したり、変えようとしたり、自分のものにしようとするのは僕にとっては対話ではなく戦争だ。極端な言い方かもしれないが僕はそんな日常の中にいくらでもおきている争いをとても醜いものだと思っている。嫌いだし、おそれている。何より自分が積極的平和人間をどこまで貫いていけるのかということ。例え誰かが僕にとっての安心をおかしに来たとしても、その人にとっての安心を犯し返すことなく、僕にとっての安心を守りきることができるのか。僕は、一瞬一瞬をそんな風にして日々を過ごしている。積極的平和人間でいるということは、僕の一秒そのものだし、僕の暮らしそのものでもある。

 積極的平和人間の作り方として具体的な政策をひとつここに明言する。

 今書いているこの文章「いおんのひびき」を20代のうちに千枚書く。

 同時にその書いた文章から一曲つくる。つまり、20代のうちに千曲歌をつくる。

 年間で約200枚の文書と絵、200曲の歌をつくるというペースである。そしてこのペースでいけば、75歳で一万枚の文章と絵、一万曲の歌ができる。

 これが僕の一生をかけた積極的平和人間の作り方のひとつの行動であり、安心だ。

 ぜひ、あなたにとっての安心も知りたい。僕にとっての安心とあなたにとっての安心で、できることを探ってみたい。積極的平和人間の外交は、こうしてはじまるのである。

 2023年5月2日

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カテゴリー: 晴太郎の窓愚痴