僕にとっての宇宙とは何なのだろう?それを考えるにはまず、僕にとっての地球とは何なのかを考えてみるのが良い気がする。僕にとっての地球とは、今僕が暮らしいている星、旅をしている星、触れることのできる星。では、僕にとっての宇宙とは?それは、今誰かが暮らしている星があるかもしれない空間、誰かが旅をしている星があるかもしれない時間、僕が触れることのできない、でも誰かにとっては触れることのできる星があるかもしれない世界。
空の向こうに広がる宇宙に限った話ではない。僕にとっての宇宙は、いたるところに広がっている。奥行きがあり、幅があり、高さがある。時間にも、地球にも。だから、宇宙のことも、時間のことも、地球のことも、僕の中で実感としてのつながりを持ちはじめている。
僕は織座農園での日々を通して世界の奥行きを、いただきアースでの日々を通して世界の幅を、彼女の和仁奈緒子との日々を通して世界の高さを、教えてもらった気がする。
奥行きというのは時間に近い気がする。幅というのは地球に近い気がする。高さというのは宇宙に近い気がする。そしてそれらは繋がっていたし、ひとつだったということに僕はようやく気付きはじめた。僕にとっての自由は、平和は、愛は、人生はそこにあるし、そこにしかない。これが僕の宿題、人生をかけて解くべき方程式なんだ。
僕は今僕を思い出しつつある。記憶がよみがえりつつある。それは、記憶っぽい記憶とは別の、この25年の人生ではまだ一度も思い出したことのない、体験したこともない記憶。僕の身体にうめこまれていつか必要になった時に取り出されるのを待っている莫大な生命情報。今、そのフタがあいて、そこから言葉があふれ出しはじめているのを僕は感じる。時に絵になり、時に歌にもなりながら。文章は奥行き、そして時間、絵は幅、そして地球、歌は高さ、そして宇宙だ。これらはやはり僕の中で繋がっている。ひとつのものである。
これが僕にとっての日々のリズムだ。理想の暮らし、夢、そして現実。ここに、欲しいものすべてがある。全て揃っている。充実している。ようやく今、そう感じることができるようになった。
僕は今冒険の出発の時のような胸の高鳴りを感じている。正直、こわい。だってどうなるのか自分でも全然分からないから。それでも自分が日々何をやるのかは分かっている。文章を書き、絵を描き、歌を歌うこと。だから、こわくても迷っても歩き続けることができる。真っ直ぐに生きて行ける。花のように。
あの日、この歌をつくった僕からの声が聞こえてくるようだ。大丈夫、花のように生きていけば良いさ、と。あの時の僕は、僕がこうなることを分かっていたに違いない。なんてカッコイイやつなんだろう。彼にまた会った時に褒めてもらえるように、花のように生きていきたい。
青空を見ながら歌っている、あの光景を忘れることができない。
僕はまだ誰にも出会っていなかった。でも、出会うことを知っていた。だから、あんなにも楽しそうに歌っていたんだ。探し物があるのではなく出会うもの全てを待っていた。今もそれは変わらない。僕はずっと待っている。いつまでもいつまでも、どこにも行かずに、”今、ここ”にとどまり続けて歌っている。
僕だけには分かる。きっと君が待っているものに出会えるって。僕だけが知ってる。この世界の秘密を。宇宙の方程式を。地球の神秘を。あの日君のつくった歌が、それを教えてくれる。音から記憶があふれてとまらないんだ。