ウルトラマンコスモスを呼ぶにはどうしたら良いのか。僕にとってそれは意識的に無意識の世界に入る、ということだ。酒やドラッグなどによるのではなく、日々の訓練、その結果得た技術でもって、正気をたもちながら狂気の世界へと入っていく。生きているということを忘れることなく死の世界へと入っていく。地に足をつけながら空の彼方へとぶっ飛んでいく。その時僕の心に広がる世界に限界はないということを感じれば感じる程に、僕の身体の持つ有限性をまさに身に染みて感じる。
2つ同時にそれぞれの方向へ飛んでいく流れ年。老いていく程土に近づいていきたい。流れ年にならきっと間に合うはずだから。
横浜の路上で歌っていた時に声をかけてくれたあの人のことを思い出す。「君のギター、500円で修理させてくれない?実は、駐車代が払えなくなっちゃって困っているんだ。」そんな出会い方だった。駐車代は3000円らしい。それすらも払えないなんて、いったいこの人は何をしているんだろう。おまけに携帯電話も持っていないらしい。でも、そんな状況でもこの人はなぜかひどく明るかった。狂った明かるさでもなく、がんばった明るさでもなく、正気で、何気なくでもこの街を歩いているどんな人よりも明るかった。誰よりも何も持ってないはずのこの人が、誰よりも何かを持っているような気がした。きっと彼は、どこへ行ってもどんなふうにでも、心の底から笑いながら生きていける。生きているということ自体への満足度がハンパじゃなかった。
常軌を逸して満足していた。狂っている程満足していた。だから、彼の前に立つと、常軌を逸しているのは、狂っているのはこちらの方なんだという気持ちになる。彼は、もう良い年をしたおっさんで、スタイリッシュでもなく都会的でもない、少年が森へ遊びにいく時のような格好で、ニコニコ街を歩いていた。あきらかに一人浮いていた。でも、あきらかに1人、人間として地に足がついていた。
心にも清潔感があるとすれば、うまれてはじめてこんなにも心に清潔感のある人と出会った気がする。彼は僕とはまるで別のものさしを持っていた。それが何かは分からなかったし、今となっては少しわかるような気もするけれど、やはり確信は持てない。彼はまるで、一瞬の風のように僕の心を吹き抜けて、どこかへ消えていった。生身の1人の人間の在り方に、僕は生まれて初めて憧れた。彼は僕の人生の師匠になった。1日限りの師匠。一瞬で全てを見せて、微笑みながら立ち止まって悲しむよりも、強いリズムを刻んでいく。自ら変わり続けて、誰かに変えられることを拒否し続ける存在。
例え一日でも、出会えたか出会えなかったかの差は天と地程もある。何も彼との出逢いに限った話ではない。今日触れるもの、今日食べるもの、今日書くこと、今日歌うこと、今日つくるもの。
それと出会えたか出会えなかったかかの差は天と地程もある。そんな毎日を、僕らは生きているんだと思う。一見変わらないような日々の中で、めまぐるしいほどの変化が起きている。そして、一見めまぐるしい変化が起きているような時代の中で、ずっと昔から変わらないような日々の営みが続いている。
つむぎちゃんは元気にしているだろうか?いつか沖縄のゲストハウスで出会った女の子。そこでもまた、ひとつの家族が、ずっと昔から変わらないような日々の営みを、一日一日丁寧に紡いでいた。
彼らは、突然訪れた僕をこころよく迎えてくれた。みんなでいただいたお昼ごはん、その風景を、あの時の満たされた気持ちを今でも忘れることができない。僕は歌った。スピッツというバンドの、「チェリー」という歌だった。その時の光景を、今こうして書きながらムクムクと思い出し、身体が熱を帯びてくる。記憶の中での再会。それもまた、日々の幸せ。僕の喜び。
君を忘れない 曲がりくねった道をゆく
生まれたての太陽と 夢を運ぶ黄色い砂
二度と戻れない くすぐり合って転げた日
きっと想像した以上に騒がしい未来が
僕を待ってる